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2005年 02月 13日
~といわれいる。
また、ワイズマンにより創造されたといわれる、神の子キリコ(触れ得ざるもの)が神経症であったという非常に興味深い資料がある。ただ、神経症とは、定義が非常に難しく、精神医学で用いられる意味で使われたのは「機能性」と「心因性」への注目と、 それに伴う神経症の心理的機制の理解を含んだ神経症理論を基礎に置く神経症の定義・分類に基づいているものである。 その中でも現在において最終的に使われているのは神経症の概念から症状学的な分類に基づいており、我々が診断基準として参考にしているDSM-Ⅳ(*1)では神経症という用語を使わずに、不安障害に分類されている。以上のような概念から、この資料は恐らくICD10{International Classification of Diseases10 (国際疾病分類第10版)}をもとに作成されたと思われる。 以下は、現存しているメルキア戦略装甲騎兵団特殊任務班X1(*2)の資料からその真意に迫ったものである。 手元の資料にあるキリコの神経症テスト結果は下記の通りである。 AS{Asthenia Scale(無力性尺度)} 2 AD{Autonomic Dysfunction Scale(自律神経失調性尺度 )} 10 DP{Depressiveness Scale(抑うつ性尺度)} 8 NE{Nervousness Scale(神経質尺度)} 4 IS{Insomnia Scale(不眠尺度 )} 6 このアセスメントで非常に興味深いのは、ADが10ポイント、それに続きDPが8ポイントと非常に高く、NI{Neurotic Index(神経症指数、尺度の合計ポイントではない)が42ポイントとこちらも非常に高い。このことから、精神衰弱から不安を主症状とする神経症の一病型である、不安神経症あるいはうつ病を疑えなくもない。 事実、当時キリコが在籍していたメルキア戦略装甲騎兵団特殊任務班X1の指揮官や兵士により、急性の不安発作、発作性の心悸亢進、呼吸困難感、胸部絞扼感、胸内苦悶、冷や汗、不眠、集中困難等の症状が多く確認されていることから、「神経症患者」と断定していたという報告も残っている。 しかしながら、メルキア戦略装甲騎兵団特殊任務班X1入隊前に生存率偏差値2.95ポイント、総合死亡率に対する特異偏差率40.66ポイントという奇跡的な生存を果たしているキリコを神経症と断定するには多くの疑問がある。 何故なら、過酷な経験をせざる得ない兵士にとって、不安発作や不眠、集中困難等の心理的傷害を呈すことは決して珍しくことではなく、100年戦争後、多くの帰還兵の後遺症(機甲猟兵に至っては生存者の8割と非常に多い)として広く知られるPTSD(外傷後ストレス障害)を疑うこともできる。 また、神経症患者の多くは、不安発作を訴えており、また発作に襲われるという予期不安から、臨場恐怖、乗物恐怖等の恐怖症の状態に陥ることが多く、予期不安のもとであるといっても過言ではないATに搭乗することは非常に困難といえる。仮に軽症の抑うつ状態が続く場合でも、この状態から内因性か心因性、つまり神経症性かを正確に鑑別することはかなり困難なのである。 最後に、このような臨床テストやアセスメントが誰の手で行われたのか?どのような状況で行われたのか?不明なのである。臨床テスト結果は、その場の状況により変化があるものである。そもそも、どのようなケースであれ、臨床テストのみで断定することは通常では考えらず、メルキア戦略装甲騎兵団特殊任務班X1の資料そのものに不明確な部分も多々あることから全ては憶測の域をでないといえよう。 *1 DSM-Ⅳ{Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders Fourth Edition-(精神疾患の診断・統計マニュアル4)}TheMelkia Psychiatric Association(メルキア精神医学協会) *2 メルキア戦略装甲騎兵団特殊任務班X1(俗称レッドショルダー)在籍時までの数十ページに及ぶ資料である。
by mdsf-ss
| 2005-02-13 17:16
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